彩磁記

創業の頃

第1回 轡に十文字 〜創業の精神〜

戸田工業の社章は 轡に十文字 です。

戸田工業は戸田生三によって、文政6年(1823年)に創業されました。戸田家の家紋は「下藤に轡(くつわ)」と呼ばれるものですが、二昔程前、"桜花"や"香蘭"といった弁柄の包装に「クツワルージュ」と印されていたことをご記憶の方もおられるのではないでしょうか。戸田工業の社章は、鹿児島小原節に唄われているような「丸に十文字」という言い表し方でなく「くつわ」又は「くつわじゅうもんじ」の方が正しい表現ではないかと思われます。

ところで、 轡に十文字 という図柄にはどのような意味があるのでしょうか。

ご存知の方も多いと思いますが、吉村昭著の「冬の鷹」(新潮文庫)という小説の中に 轡に十文字 にふれた部分があります。この小説は、前野良沢が「蘭学事始」で有名な杉田玄白らと共に、オランダの解剖学書「ターヘルアナトミア」の翻訳書「解体新書」を完成させるまでの過程を描いたものです。

物語の舞台は明和8年(1771年)。前野良沢49歳、杉田玄白39歳、中川淳庵32歳の年です。わずかながらもオランダ語の知識を持っていたのは最年長の前野良沢ただひとり。杉田・中川両名に至ってはオランダ語について全く知識が無かったため、翻訳事業は初日から苦難の連続でした。初めの一句から全く手がつけられず、ただ呆然と顔を見合わせるばかりだったということです。それでも使命感に燃えた彼ら三人は、くじけず頑張るのですが....。

以下 轡に十文字 にふれる部分を引用してみましょう。

良沢の額には深い皺がきざまれ、白毛の増した総髪が顔にふりかっても払いあげようともしない。....(中略)....苦悩にみちた良沢の顔を無言でうかがう。かれらには、良沢の仕事を手伝うことはできないのだ。

....(中略)....

良沢は、眼をひらき溜息をつくと冷えきった茶を飲む。そして、玄白たちに苦笑した顔を向ける。
「いかがでござろう、わからぬ単語に印をつけては....。いずれは他の個所でその単語の意味がわかることもあり得ることであるし....」
玄白は、火鉢にかかった鉄瓶から湯を急須に入れながら言った。
「印を?」
淳庵が、玄白の顔を見つめた。
「そうでござる。たとえば丸の中に十文字を書くような印をつけて置いて、訳をすすめてゆくようにするのでござる」
と言って、玄白は筆をとると、という記号を書いてみせた。

....(中略)....

良沢は、疲労の濃くにじみ出た顔を玄白に向けた。そして、丸に十文字の記号を眼にすると、
「貴殿の言われるとおり記号を付してひとまず置き、さらにすすんだ方がよいかも知れませぬ」
と、言って、うなずいた。
玄白たちの顔に、安堵の色がうかんだ。
「丸に十文字とはよい符号でござる。いかがでござりましょう、これを轡十文字と称しては....。翻訳の仕事は戦と同じであり、馬にまたがって敵陣に突きすすむようで勇ましくてよいではござりませぬか」
最年少の桂川甫周が、微笑をたたえながら言った。
「轡十文字、語呂もよいし、それは面白い」

 

紋章学の観点から書かれた本で 轡に十文字 を調べてみると、「轡紋」と「くるす紋」に分けらています。
日本における紋章の始まりは、ヨーロッパのものとほぼ同じ11世紀頃とされ、公家の牛車に施された目印である紋様に起源を求める説(新井白石)が有力のようです。紋章は、戦場における武家紋を除き、家を単位として継承され、武家紋、特に戦国時代の武将の紋章は、親子一族間でも区別していました。これは、紋章本来の敵味方を区別することに加え、武功を誇る手段としても武士個人の紋章を必要としたためだそうです。
「轡紋」は、紋章学では武具紋に分類されています。
くつわは「口輪」または「口割」から変化した語で、馬を操る道具の一つです。大和・奈良時代に用いられたものと近世に使われたくつわとでは形が異なり、前者を「十文字くつわ」、後者を「掛くつわ」と呼んでいました。家紋になっているのは十文字が多く、これは他の馬具と同様、戦に関係が深かったことから、尚武的な意味で好まれたものであるという説が一般的です。初めは馬銜の部分を含む形を図式化していましたが、後世には金具を主としたものが中心になり、円に十字を配したいわゆる「轡紋」を用いたのは、足利尊氏に仕えた大草公経の子孫に多いとのことです。

杉田玄白が翻訳作業で苦境に面した時、 轡に十文字 が頭に浮かんだのは、"やってゆく仕事は厳しく辛いけれど、これを乗り越える旗印として、一致団結し、仲間の士気向上を図るにふさわしい"と考えたからではないでしょうか。
このような紋章がいつの頃から、またどういう意味や理由で、社章として用いられるに至ったのか、詳しくは判りませんが、いずれにせよ、創業した戸田家の家紋から採ったことは間違いないと思われます。杉田玄白が 轡に十文字 を提唱してより52年を経て、産声をあげた戸田工業。3つの世紀にまたがった戸田工業の歴史について振り返ってみたい思います。

※「冬の鷹」からの引用に当たっては、吉村昭氏より了解の旨を頂いています。

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