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彩磁記

昭和初期の近代化

第4回 戸田工業株式会社設立 〜家内工業からの脱皮〜

細羽氏が精勤舎に入社した昭和8年頃のことです。

入社時の面接試験で、「中学を出たからといって、最初から事務員にはなれませんよ。当分は工場で職工として働いてもらいますが、よろしいか」というような社長の言葉がありました。この頃より社員は現場実習の心得を厳しく躾けられていたようです。

現場実習としては、弁柄包装など細かい単純作業もありましたが、夏の日の除虫菊粉砕工場での重労働は、相当にきついものでした。社長も暇をみては包装や荷造りをし、社長のお母さんも袋の底貼りを手伝うといったように一家総出で頑張っておりました。

こうした家内工業の域を越え、時代の流れに沿うべく精勤舎は東洋除虫菊合資会社を併合し、新たに戸田工業株式会社が設立されることになりました。社名変更についても、「人間は常に精勤であれ」という意味を持ち、長年親しんだ精勤舎という名称を惜しむ声が社内には多かったのですが、近代化を押し進めるために、戸田止戈夫社長が思い切って決断しました。

昭和8年11月30日、戸田工業株式会社は、広島市横川町に資本金50万円で設立されました。

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