1. HOME
  2. 会社情報
  3. 歴史・沿革
  4. 彩磁記(創業ものがたり)
  5. 昭和初期の近代化 苦労した東京進出

彩磁記

昭和初期の近代化

第6回 苦労した東京進出 〜細羽氏の思い出(その3)〜

現在、東京は浜松町にある東京支社も、昭和9年当時は神田の路地で細々と商いをしておりました。神田の店の前には、「両得ベンガラ」、「蚊取線香」、「ムシトリ液」という看板を掲げていました。この両得ベンガラとは、今も使われているらしいのですが、弁柄に松烟を混ぜ材木に塗るもので、見た目もよく、防腐の役目もあることから「両得」と名付けられました。

当時、新規開拓した得意先に、今も取引のある関西ペイント株式会社がありました。取引が大口であったため、工場最寄りの国鉄深川駅(現JR下深川駅)から10トン貨車で出荷することとなりましたが、これほどの出荷は今までに例がなく、初荷の際はお酒で祝いました。

このように拡売の話ばかりであれば良いのですが、実際のところは、転勤し後しばらくの間、なかなか売れない時期が続きました。弁柄は売れず、必要経費だけは出ていくため、お金に困り、本社に送金をお願いしたところ、社長曰く、「弁柄送れ、金も送れとはどういうことだ。弁柄なら幾らでも送ってやるから、売った金でやっていけ」。関東は当初より、長沼(後の利根産業株式会社)、日本弁柄工業株式会社、森下弁柄工業株式会社の勢力が絶大であったため、食い込みが困難で、わが社の弁柄はなかなか売れなかったのです。

質屋通いをしたり、得意先から帰る電車賃すら無く歩いて帰ったりと、とにかく毎日が苦労の連続でした。その当時、新入社員も数人入ってきましたが、そのつらさに耐えきれず、すぐにやめていってしまいました。

ページ先頭へ