彩磁記

戦時下の発展

第8回 “研磨剤” 〜戦時下の発明(その1)〜

"トラ、トラ、トラ!"

日本軍のハワイ真珠湾奇襲攻撃によって、ついに太平洋戦争の幕が切って落とされました。昭和16年12月8日のことです。開戦にともない、わが社の弁柄は、船底塗料の材料として需要が急速に伸びていきました。

昭和17年、ミッドウェー海戦を機に戦火はいよいよ激しくなりました。昭和18年、わが社は、潜望鏡などに使用するレンズプリズムの研磨材を作るよう海軍より委託されました。

当時、精度の高いレンズプリズムなどの光学兵器を作るための必需品であった研磨材は、ドイツから輸入していました。研磨材の輸入は、海上輸送に頼っていましたが、ミッドウェー海戦を転機に戦況が不利になると、海上輸送は難しくなりました。研磨材を必要としていた日本にとって、それは大変な痛手でした。

皆さんは、"Uボート"という名をお聞きになったことがありますか。Uボートは、当時連合軍の艦隊を震え上がらせたドイツの潜水艦です。海上輸送が出来なくなり、このドイツの潜水艦Uボートで研磨材を日本に輸送したという話もあります。

しかし、戦争の激化とともにそれすらも困難な状況に陥り、日本はどうしても国内で研磨材を生産する必要に迫られました。当時、愛知県豊川にあった海軍工廠の要請で、広島の高等工業(現広島大学工学部)の応用化学におられた鈴木先生とわが社の共同研究で研磨材を完成しました。これは、今でいう産学協同のはしりでした。
研磨材の生産は、わが社の舟入工場と、現在の広島市舟入川口町にあった広島化学工業所有の工場を買収して行われました。

この研磨材は、酸化鉄中のシリカや粗粒物を除去したもので、美光研磨材と命名され、日本光学工業株式会社(現ニコン株式会社)や、高千穂光学工業(現オリンパス光学工業株式会社)に納入されていました。戦後、名を馳せたニッコールレンズ、瑞光(ズイコー)レンズの製造技術は、この美光研磨材によって確立されたといってもよいかもしれません。

優れたレンズの陰には、優秀な研磨材の歴史があったのです。

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