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彩磁記

戦後の復興

第10回 “技能”から“技術”へ 〜終戦と戸田工業〜

昭和20年8月15日、第二次世界大戦は終わりました。

そして戸田工業も復興への一歩を踏み出したのです。

まず、戦災により焼失していた大阪桜島の大阪工場が、昭和22年、処分されました。

続いて、昭和26年には、吉備工業の営業部門を戸田工業が受け持ち、吉備工業が製造する弁柄を販売していくことになりました。また、同年9月に吉備工業は、日本工業規格表示(JIS)が認可されました。このことは、吉備工業の製品が品質的に保証されたことを意味し、その後の営業活動に多大なメリットをもたらしたのです。当時弁柄は、主に神戸のゴム(チューブ、履物の着色)に使われており、月に60〜70トンの出荷がありました。そして、昭和27年には大阪都島に大阪営業所、昭和28年に東京営業所が新設されました。

昭和28年8月、戸田工業の歴史を語る上で忘れることの出来ない大きなエポックがありました。
当時社長であった戸田英夫が「硫酸鉄熱分解による弁柄製造」(粒子の大きさと発色の関係)についての発表会に出席されました。これは大変興味深いもので、これまで伝統的な"技能"であった弁柄製造が、"技術"として位置づけられることとなったのです。これを機に京都大学との共同研究が始められ、常時3〜4名の社員を京都大学生活科学研究所に派遣し、現在の戸田工業を築く基礎技術を次々に生み出していくのです。

一般に産学協同は昭和40年頃からと言われていますが、戸田工業と京都大学の関係は昭和28年からスタートしており、その先駆けであったと言えるでしょう。

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