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彩磁記

戦後の復興

第11回 フェライト材料の開発 〜復興への手掛かり〜

酸化鉄の研究を通じ、おつきあいさせて頂いていた京都大学の高田利夫先生から「ヨーロッパでは、酸化鉄を使ってフェライトという磁石材料が作られているらしい」と教えられ、フェライトという需要があることを知りました。
早速、フェライト材料開発に着手、サンプル活動を開始しました。

戸田工業には以前、日本板硝子株式会社の要請で開発した、研磨材用高純度酸化鉄(脱シリカ)の製造技術があり、フェライト材料の開発はそれほど難しくはなかったようです。しかし、フェライトといえば、テレビ・ラジオなどの最新技術を駆使した製品に使われるため、"弁柄屋"の作ったフェライト材料など使い物にならないと思われており、門前払いされるなど、採用されるまでには辛い目にあったようです。
昭和29年頃になるとフェライトの需要が出始め、ようやくビジネスとして成功する兆しがみえてきました。

当時フェライト材料は、東京営業所が中心になって営業活動をしており、今でも取引のあるTDK株式会社、住友特殊金属株式会社、ソニー株式会社、株式会社トーキンなどがユーザーでした。

こうして戸田工業のフェライト材料は、苦労を重ねながら徐々に市場に出ていったわけですが、一方、戦前から続く弁柄をはじめとした顔料の営業活動にも苦労がありました。
従来から取引のあったゴム会社(住友ゴム工業株式会社、株式会社ブリヂストン)とは別に、新たに塗料分野へのユーザー開拓を始めたのですが、当時塗料の大手メーカ(関西ペイント株式会社、日本ペイント株式会社)には、利根産業株式会社や日本弁柄工業株式会社、森下弁柄工業株式会社、山口弁柄が納入しており、容易には参入を許してはもらえませんでした。

また、当時はブローカーが市場を牛耳っており、メーカーが直接ユーザーと取引することは出来ませんでした。ブローカーを経由しての納入では、最終的にどこに納めているかすら知ることは不可能だったようです。メーカーからブローカー、ブローカーからユーザーというつながりには確立されたものがあり、そこへ参入しようとしたのですから、営業の努力は大変なものでした。
こうした保守的な業界にあって、戸田工業はユーザーと直接取引し、真のユーザーの声を製品やサービスに反映するため孤軍奮闘を続けました。その結果、最下位だったシェアも、昭和33年にはトップシェアの座に踊り出ることに成功したのです。

戸田工業は、今日のマーケティング活動の礎となる、ユーザー直結という販売チャンネルを創造したのです。当時としては、これは革命的なことでした。

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