彩磁記

公害の克服

第14回 公害企業第1号 〜公害問題(その2)〜

昭和30年代に入って深刻化した公害問題により、戸田工業は存亡の危機にさらされることとなりました。

原因は、酸化鉄を作るために原料の硫酸鉄を加熱するという製造方法にありました。焼成工程で生じる亜硫酸ガスが、フェライト材料や弁柄の需要の伸びに比例して多量に発生するようになったのです。

フェライト材料を生産していた広島工場の近辺では、朝夕は気圧が低下するため、昼間上空に昇っていた排ガスが降下してきて、工場近くの深川駅(現JR下深川駅)に列車が停車すると、下車する人は皆咳をしていたといいます。対策として昭和32年に排ガス除去装置を設置したものの、思ったような効果が上がらなかったことは前述した通りです。
そのような中で、昭和34年に月産300トンの設備増強が行われたため、状況はますます悪化、住民の非難の声は日増しに激化していきました。

同じ時期に岡山工場(現戸田ピグメント株式会社)でも公害問題が顕在化します。
状況は広島工場よりもひどく、工場付近を車で通るのに1メートル先も見えないほどで、雨が降ると工場内の弁柄が水に流され、水田や川が赤く染まりました。険悪になりがちな住民との関係を何とかやわらげようと、お酒を持って近所の家を一軒一軒訪問していました。

戸田工業は、広島市の公害企業第一号の指定を受けることになり、その後約15年間にわたる苦難の時代を迎えることになったのです。

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