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彩磁記

技術開発の時代へ

第17回 湿式技術への第一歩 〜酸化鉄製法の変遷〜

公害問題を背景に、戸田工業はその克服の過程で酸化鉄製法における革命的変換をなし遂げました。改めてその製法について振り返ってみます。
文政6年の創業以来、昭和の初期まで、緑礬(ローハ)を原料に酸化鉄を製造していました。緑礬は、磁硫化鉄鉱を焼き、これを水に溶かし煮詰めた後、冷却析出させて得られた硫酸鉄のこと。この緑礬を焼成して酸化鉄にし、色分けし、弁柄を作っていました。その後、大量生産を可能にするため、緑礬から、鉄板を酸洗いした時に発生する硫酸鉄に原料が切り替わっていきました。しかし、いずれも、原料である硫酸鉄を焼いて酸化鉄を製造していたので、公害問題を引き起こしたことは前述した通りです。

公害問題を解決するため、現在の無公害製法とは異なりますが、当時KFDとN法という二つの製法がありました。
KFDは鉄粉を原料としていた点が、現在とは大きく異なる点でした。一方、硫酸鉄を焼成しない-化学反応によって酸化鉄を生成する-N法が、昭和30年代後半に完成しました。N法は現在の湿式法と似た点が多いようです。
この時期、湿式法の開発は他社においても進んでいたことから、更なる開発に拍車がかかりました。昭和32年暮れのことです。

京都大学における基礎研究を基に、N法によるビーカー実験が、昭和33年、広島工場内にてスタートしました。そして、同年5月には3tプラントが完成、秋には研磨材としてのサンプル出荷を開始していますから相当な開発スピードです。サンプル出荷の結果が良かったことから、その年の暮れには、山口県の小野田工場に70tプラント建設の計画に進んでいきました。同プラント建設は昭和34年8月に着工、翌年5月に試運転を開始しています。

こうしてN法で作られた酸化鉄は、当初サンプル出荷していた研磨材の他、フェライト材料、顔料用に出荷されていきました。

かくして戸田工業の湿式技術への第一歩が踏み出され、現在の戸田工業技術を支える礎となっているのです。

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